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井原市は,岡山県の南西部に位置し,その東端に本学区があります。
市の地域指定区分によれば「工特地域」にあたります。
学校の北東方向の東江原町と神代町境に標高172.6 mの高越山があり,
その山頂には戦国時代の武将北条早雲(伊勢新九郎盛時)が生まれた高越城の
遺構があります。北部には山が連なり,日当たりのよい斜面では,葡萄の栽培
等がされています。
南部には,平地が開け中央を東西に貫く国道486号線を取り囲むように団地や
企業の進出が見られますが,稲作も盛んに行われほとんどが兼業農家です。
最南部には,1級河川高梁川の支流小田川が西から東に向けて流れています。
また,平成11年1月には,井原線が開通し「早雲の里荏原駅」が設置されました。
<北条早雲>
初めての戦国大名といわれる北条早雲は,備中国荏原郷の領主伊勢氏の出身でした。
井原では,伊勢新九郎盛時と名乗り,青年期まで過ごしたと伝えられています。
室町幕府に仕えたあと,妹の嫁ぎ先である今川家(駿河国:今の静岡県)へ行き,
伊豆国(静岡県東部),相模の国(神奈川県)を支配する戦国大名になりました。
『井原歴史探検』より
学級数 8
児童数 70人
(令和5年5月1日現在)
明治6年1月 「啓蒙所」を東江原村米持に設置し開校
6年4月 「江原校」と改称
6年7月 「興業学校」を東江原村字谷古屋に分立
「高越学校」をを神代町字高越に分立
9年12月 「江原校」に「興業学校」を合併
11年12月 「江原小学校」と改称
15年4月 「村立江原小学校」と改称
17年12月 「神代町高越小学校」と連合し教育費を負担
20年6月 「高越小学校」と合併し、宇内寺の石田に移転
24年4月 校舎3棟新築落成
26年4月 「東江原村・神代村組合村立江原尋常小学校」と改称
33年4月 「荏原村立江原尋常小学校」と改称
35年3月 高等科を設置 「荏原村立江原尋常高等小学校」と改称
41年4月 尋常科に第5・6学年を設置
44年4月 大字東江原字宮田井ノ尻 (現在地) に校舎移転
大正15年4月 運動場を南方に拡張
昭和3年10月 講堂及び校舎1棟落成
4年3月 運動場を西方に拡張
13年 教室棟2階建増築
16年4月 「荏原国民学校」と改称
22年3月 「荏原小学校」と改称
22年4月 PTA組織設置する。
28年4月 「井原市立荏原小学校」と改称
33年4月 子ども会組織設置する。
41年10月 「学校安全優良学校」を県教育長日本学校安全会より受賞
43年3月 明治百年記念「校歌」を制定
44年2月 「教育正常化推進優良校」 県教育委員会より受賞
50年3月 屋内運動場竣工する
50年11月 文部省指定民主教育研究発表会 (昭和 49 から50)
52年 運動場を拡張する
53年3月 普通教室、特別教室棟、鉄筋3階建て竣工
53年7月 バックネットの寄付
54年3月 普通教室、特別教室、職員室棟鉄筋3階建て竣工
55年2月 「心の岩」「荏原っ子庭園」の寄付
55年5月 運動場 体育倉 庫竣工
55年11月 「優良PTA」 として文部大臣より表彰
56年1月 学校田収穫によるもちつき大会
56年9月 バックネットの寄付
57年9月 25メートルプール竣工
57年11月 小学校教育研究発表会を開催
58年2月 「いこいの広場」の 寄付
60年5月 東渡り廊下の新設、西渡り廊下を改修
62年11月 小学校教育研究発表会を開催
平成3年3月 飼育小屋の寄付
5年2月 中庭に砂場を新設
5年3月 校名板、平櫛田中の石碑の寄付
5年10月 雪舟の石碑の寄付
5年10月 文部省指定道徳教育研究発表会 (平成4年から平成5年) を開催
6年6月 校長室へクーラーを設置
7年12月 パソコンを設置
8年2月 屋内運動場竣工
9年8月 パソコン室修繕工事完了
12年5月 プール改修工事
13年3月 体育倉庫増築工事
15年10月 北校舎大規模改修工事完了
16年10月 南校舎大規模改修工事完了
18年10月 井原市指定小学校教育研究発表会を開催
23年7月 エネルギー環境教育実践発表会を開催
28年8月 全教教室エアコン工事完了
28年10月 岡山県 頑張る学校応援事業 優良実践校に選出
30年1月 岡山県 「わかば賞」受賞(児童会)