ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ

本文

学校の沿革・校歌

記事ID:0000197 更新日:2021年9月2日更新 印刷ページ表示

野上小学校の沿革


明治 8年 1月 精徳小学校(現在地)
   26年 7月 精徳尋常小学校と改称
大正 5年 4月 精徳尋常高等小学校と改称
昭和16年 4月 山野上国民学校となる
   22年 4月 山野上小学校と改称
   28年 4月 井原市立野上小学校
   30年 7月 新運動場に校舎新築
   31年10月 下運動場を拡張
   39年11月 創立90周年記念事業実施
   43年 8月 プール建設(現在,消防団へ譲渡)
   47年 2月 鉄筋校舎・体育館落成,西運動場完成
   50年 3月 創立100周年記念事業実施
   53年10月 移行措置研究発表会開催
   59年10月 図画工作科研究発表会開催
   61年 1月 創立110周年記念事業実施
平成 元年10月 校舎裏崖崩れ箇所補強工事
    元年10月 国語科研究発表会開催
    2年 9月 上校舎側溝修理,上校庭へブランコ設置
    3年 6月 25mプール・幼児プール完成
    3年 8月 上校舎テラス修理
    6年10月 道徳研究発表会開催
    7年 3月 創立120周年記念事業実施
    7年10月 鉄筋校舎大規模改造
   10年 3月 前庭フェンス改修工事
   12年 9月 体育館床面・校長室改装工事
   12年10月 道徳研究発表会開催
   13年 7月 パソコン・校内ラン設置
   13年 8月 給食室・職員トイレ改修工事
   14年 8月 理科室改修工事
   15年 8月 音楽室・図書室・印刷室改修工事
   16年 8月 職員室・廊下・放送室改修工事
   16年 9月 西運動場放送設備改修工事
   17年 1月 創立130周年記念事業実施
   17年 8月 玄関改修工事
   18年 8月 鉄筋校舎1階軒設置
   19年 5月 プール塗装修繕工事
   20年10月 国語科研究発表会開催
   22年 5月 体育館耐震工事
   24年 3月 上校舎北斜面及び東斜面改修工事

   24年 8月 鉄筋校舎耐震工事

   27年 2月 創立140周年記念事業実施

   29年 8月教室エアコン工事完成

   29年10月小学校教育研究発表会開催(算数科)

   30年 4月特別入学・転学制度実施

野上小学校の歴史

わたしたちの野上町は,井原市の北東部にあり,広さは約9平方キロメートル,ほとんどが標高200mから400mの山地です。南部には,水天山や頂見山,北部には日長山や由加山があります。山間には,青野ダムにそそぐ福良川,明治池にそそぐ雄神川・湯舟川をはじめ,細見川・毘沙門川・下谷川などの小さな川がたくさん流れています。そして,山ろくの日当りのよいところに大小14の集落があります。自動車の増加によって道路も整えられ,美袋・井原線,黒忠・井原線,野上・矢掛線と3つの県道が通っています。昔は,山間の田畑を中心とした農業が中心でしたが,今では,勤めに出る人が多くなりました。
今から約130年前の明治6年12月,北部柏木地区に精倫小学がつくられました。つづいて明治7年1月,南部堂西地区に効徳小学がつくられました。その後,だいたい一村に一校のわりあいで学校がつくられるようになり,明治8年,2つの学校がいっしょになり,三村勘助住居あとをゆずりうけて,現在の場所に両方の校名を一字ずつとった精徳小学校がつくられました。これが野上小学校のはじまりです。当時は1年から8年(下等科4年・上等科4年)まであり,読書・書取・習字・算術・体操など7科目の学習をしていました。児童数は94人で,男子86人・女子8人でした。
明治15年には,1年から6年までになり,児童数が140人(男子93人・女子47人)と女子が増えてきました。
明治16年には新校舎が完成し,これ以後,学校は文化の中心となりました。
明治20年には校名が尋常精徳小学校と変わり,1年から4年までになりました。
明治26年には精徳尋常小学校となり,第1回運動会が行われました。また,学校と家庭との連絡をしっかりとるために通知表が作られました。
明治33年に女子のために新しく裁縫科ができました。またこの年に稲本治太一(陽洲)が初代校長となりました。翌年には修学旅行として南部と北部を歩きました。
明治41年には義務教育が6年間となり,新校舎もつくられました。児童の1年間の学習の成果を発表し,新学年に入る覚悟をいだかせるために,児童1日会(学習発表会)が開かれ,習字や図画を展示したり劇や歌などを発表したりしたと記録に残っています。
大正2年には,始まりの合図に使っていた太鼓が鐘にかわりました。
大正5年に高等小学校2年を小学校といっしょにして,精徳尋常高等小学校となりました。
大正15年には二階建ての講堂がつくられ,現在の体育館ができるまで,学校教育はもちろんのこと,村の行事などにも使われていました。
昭和7年には後月郡珠算大会に出場して優勝しました。その後もたびたび優勝し,郡の代表として県大会へ出場し,よい成績をおさめ有名になりました。またバレーボールでも郡の大会で連続優勝するなど,先生たちをはじめ多くの人たちの協力によって,すぐれた成績をあげることができました。そして,当時は精徳小学校といえばそろばんとバレーボールの強い学校といわれるようになりました。
戦争がはげしくなり,昭和16年小学校が国民学校とかわり,校名が山野上国民学校となりました。戦争に関係した教育や訓練が学校で行われるようになり,教室内での勉強はあまりできませんでした。
昭和20年8月に戦争が終わりました。本校は戦災は受けませんでしたが,戦争に敗れたことへの悲しみは大きいものでした。
昭和22年に山野上小学校となり,戦争に関係した教育がなくなり,教科書は簡単なプリントが教科ごとにくばられました。また新しく家庭科や社会科ができ,学習方法や内容がかわってきました。
井原市との合併により,昭和28年に山野上村が井原市となり,現在の校名である井原市立野上小学校となりました。学校給食をするために水道工事を行い,水飲場をつくり,簡易水道が完成しました。昭和34年に給食室をつくり,週2回脱脂粉乳の給食がはじめられ,つづいてパン,ミルク,副食の週3回の完全給食となりました。そして,昭和36年から週5回の完全給食となりました。
昭和40年には「創立90周年記念事業」を行い,三村屋敷跡に石碑をつくったり,幼稚園をつくったり,学校の設備や施設をととのえたりしました。校歌や校章もつくられました。
昭和43年には,15m3コースのプールが完成しました。今までは川や池で泳いでいたので,このプールが完成して安全にきれいな水で楽しく水泳ができるようになり,みんなで喜び合いました。
昭和47年には,木造校舎がたてかえられ,鉄筋の新校舎が完成しました。つづいて体育館もたてられました。また長い間町民の願いであった大運動場(西運動場)が現在の場所にできあがりました。この年には,第1回野上町民体育祭が開かれ,親子孫3代リレー,消防団リレー,紅白玉入れ,各年代リレー,ダンスなどがおこなわれ楽しい1日をすごしました。
昭和48年にはグランドピアノが入り,ピアノ開きをおこないました。
昭和50年には「創立100周年記念事業」がおこなわれ,百年誌や運動場建設記念碑など,いろいろなとり組みがされました。
昭和60年には,創立110周年を記念してタイムカプセルを作りました。20年後に当時を思いながら,カプセルのふたをあける予定にしています。このころから,手づくり楽器による演奏がはじめられました。台所にあるなべやフライパンをはじめ,しょうゆだるを使って楽器をつくりました。中でも竹を利用した竹きんやギロなどの楽器は,保護者の人たちと一緒になってつくり演奏しました。 
平成3年には水道がひかれ,25m5コースの水泳プールと幼児プールが完成しました。

校歌

校歌の楽譜